食事の話…その③
今回は栄養学についてお話ししたいと思います。
戦後に入ってきた栄養学は、今では日本でも当たり前のように浸透しています。
栄養士なんて職業もあるくらいです。学校や病院の献立も栄養学に基づいて管理したりしていますね。
前回もお話ししましたが、栄養学はドイツが発祥の地です。
1900年代初頭に、カールフォイトという学者が、“仕立屋さんの食事”を栄養食と決めたのが始まりと言われています。
なんで仕立屋さんの食事を栄養食としたのかというと、そのころヨーロッパでもっとも多い職業だったからみたいです。
きちんと根拠があって栄養食と決めたわけではないのですね。
その仕立屋さんの食事を成分に分析して、糖質、たんぱく質、脂質に分けて、カロリー計算すると、大体1日1500キロカロリー前後だったということです。
それが現在の、一日1500キロカロリー必要で、”栄養素をバランス良く取りましょう”という考えに繋がっているのです。
前回も書きましたが、ヨーロッパと日本では、気候も風土も文化も全く違います。
当然食べてきた物も違います。日本食は繊維質が多く、栄養学的な分析では、栄養素が足らないと判断されがちです。
しかし、このような栄養素の分析だけで、食の良し悪しを判断していいものでしょうか。
分析するだけなら、カップラーメンやお菓子にだって栄養素は含まれています。
何だって言えてしまいます。
栄養学的分析のみで、食べ物を判断することがいかに危険かがわかります。
パプアニューギニアの人たちは、ほとんど芋しか食べません。ですが、体格は頑強で、筋肉隆々です。
筋肉の元である、たんぱく質はいったいどこから摂取しているのでしょうか。
これは栄養学的には考えられない話です。(調査の結果、腸内細菌がアミノ酸を合成していたことが分かっています)
我々人間には、その土地に適応出来る能力があります。
炭水化物を一切取らなければ、代わりにたんぱく質や脂肪をエネルギーに変える能力だってあります。
一日一食しか食べなければ、その一食からきちんと栄養を吸収出来る体になってきます。
人間の適応能力は計り知れないものです。
栄養素の分析だけで、我々にとって本当に必要なものを決めることは出来ません。
また、不足ばかりを強調して、過ぎることの害にはあまり触れないのも栄養学の特徴です。
背景には、食品や商品の販売を目的とした、経済的な思惑さえ感じます。
好きなものを好きなだけ食べられる時代です。
今は、栄養素の不足を考えるよりも、“過ぎることの害”を考えなくてはいけないなの時代です。
糖分も脂肪もたんぱく質も、取りすぎは身体に様々な害をもたらすことをお伝えしておきます。